王龍禅寺
山門
大黒天堂
本堂
十一面観世音菩薩
ヤマモモの大木



・王龍寺(おうりゅうじ)の「山門」
 カーナビの指示通りに来ると、飛鳥カントリーの正面玄関に到着。左脇の道を下ると裏門を過ぎて、正面の山門に到着。ゴルフ場の裏にあるというか王龍寺の裏にゴルフ場が出来たというか??この道を東に行くと富雄川に行き当たり、「杵築神社」の参道に行き着く。
「石仏観音岩屋大黒天王龍寺」の石碑が建ち、右側面の「吉村長慶」の刻印が気になる。参道の奥の方に黄檗宗海龍山「王龍寺」の山門が見え、門に「門開八字森々松檜壮禅林(門は八の字に開き、森々として松檜禅林に壮んなり)」の書がある。山門を入ると景色が一変し、市の天然記念物として指定された境内のコジイ林が訪問者を包み込む。息の切れる寸前、最後の石段を登ると、直ぐ目の前に「本堂」が建つ。
大黒天のお堂までは行けませんでした。次の機会に!
裏門近くに「宇宙庵吉村長慶」の碑が目に付く。奇人「長慶」ここまで及ぶの感アリ。
聖武天皇の勅願によって建立され、正月堂など「僧坊千軒」と云われるほど盛大でしたが、後に衰退して、筒井氏の兵火で焼失しました。
・王龍寺の「本堂」
 1689年(元禄2年)大和郡山城主の本多下野守忠平が、黄檗宗の開祖隠元禅師(いんげんぜんじ)の孫弟子、梅谷和尚を招いて菩提寺として再建開山し、山門と本堂がその時に寄進され、今日に至っていますが、内陣の本尊は、高さ4.5m、幅5.5mもある巨石に刻まれた高さ2.1mの十一面観世音菩薩で、光背形を彫り窪めた中に半肉彫りに刻まれ、下に蓮花台を浮彫りにして、慈愛あふれる優雅な美しさを創り出し、「建武三年(1336年)丙子二月十二日大願主僧千貫行人僧千歳」の銘があります。また、本尊に向かって右脇にも、高さ1mの不動明王が刻まれて、銘は、文明元年(1469年)十月になっています。
これらの像はこの地区に残る数少ない磨崖仏の一つで、中でも十一面観音立像は南北朝時代の様式をよく伝える貴重なものである。
・王龍寺の「ヤマモモ」
 「王龍寺」の本堂の裏へ廻ってちょっとした広場へ出ると、王龍寺境内の裏門の脇に、今も沢山葉が繁る「ヤマモモ」の大木が植わっています。雌(め)株で樹高約11m、主幹の内部が既に朽ちて空洞になっていますが、目通り約2.7mの堂々とした大木です。側幹が3本あって、その最大木は、目通り約1.7mです。樹幹の基部での周囲は、約5mほどあり、樹齢約300年で、本堂が創建された江戸時代1689年(元禄2年)以後に庫裏(くり)の裏近くに植えられたものと思われます。昔は、参詣した賓客をもてなすのに、ヤマモモはかけがいのない果物であったとか。なお、昭和54年5月14日奈良市指定文化財です。


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