手向山八幡宮境内万葉歌碑

秋萩の散りのまがひに呼び立てて鳴くなる鹿の
聲の遙けさ
(万葉集巻八 1550 湯原王)
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湯原王は志貴皇子(父、天智)王家の子。歌の贈答・社交を楽しみもした、
天平期の都市の王族。万葉での歌19首。いま、鳴鹿歌。 漢字「萩」は中国ではヨモギ類などの意、日本で秋を飾るハギに宛てますが、 万葉にはまだ不見。万葉寫本によく見える「芽(はぎ)」類の字の考証のことは措き、 萩は約140首。万葉植物最多。「七種花(ななくさのはな)」にも数えられた(巻八1538、山上憶良)。 万葉の鹿は50首余、すべて野生。萩とのとりあわせは大伴旅人ら都市知識人の趣向でした。 「鳴くなる」の「なり」は、妻を呼ぶ声が聞えるという伝聞推定の助動詞。 むろん鹿のすがたは見えない。上句は寫実的に見えながら、実は作者の視覚的趣向に 虚構されている心象風景である。決して「素朴」ではない。「純粋」とまで言えるか否かは別として。 湯原王の歌、「吉野なる夏実(なつみ)の河の川淀に鴨そ鳴くなる山かげにして」(巻三375)、 「夕月夜(ゆふづくよ)心もしのに白露の置く此の庭に蟋蟀鳴くも」(巻八1552)。声。 鴨のすがたは見えず、声は沁みて山かげに鳴く。透明な空間。夕月のほのか明かりに 心も萎える程に蟋蟀が鳴く。「白露」はもと漢語。家持の歌、 「……ほととぎす鳴きとよむなる声の遙けさ」(巻八 1494)、「朝床(あさとこ)に聞けば遙けし……」 (巻十九 4150)北国、江を泝(さかのぼる)舟唄を「遙聞(はるかにきく)」と題詞ある朝の歌。北方の杳(はる)けさ。 志貴皇子王家は、天武系の栄えた後、奈良末期、志貴の子光仁の即位まで時を得ず、 やはり時を得ずあった家持も王家の市原(いちはら)王と歌に心を通わせます。万葉最末の家持の歌、759年。 光仁の子桓武即位781、家持没785。永遠の詞華集(アンソロジー)、万葉の時代が過ぎました。 |

本田義憲先生監修
(奈良市に万葉歌碑を建てる会専門委員・奈良女子大学名誉教授)
これからの建立予定 |