五条町秋篠川畔万葉歌碑

沫雪(あわゆき)のほどろほどろに降りしけば平城(なら)の京師(みやこ)し
 思ほゆるかも

(万葉集巻八 1639 大伴旅人)

 「大宰帥大伴卿冬日見雪憶京歌」、名門大伴氏の中心、旅人(665〜731)。 個人的に自由に折にふれた 機会詩(オケイショナル・ポエム)。接続助詞「ば」 が囚われない連想をつなぐ、知識人の新風(しんぷう)です。「大宰」(大国司)は大宝律令(701) 以後は筑紫大宰のみ、「府」は軍事的官衙の意から独自の行政組織となって、 「大君の遠(とほ)の朝廷(みかど)」とも歌われます。
 旅人は養老4(720)年、征隼人(はやと)大将軍として西下、同年、 藤原不比等没して帰京。聖武神亀5(728)年初め、大宰府長官として西下、 伴った妻を夏に喪い、6年、平城では長屋王らが「賜死」自尽、藤原氏の出の光明子立后、 天平改元の変がありました。筑紫には山上憶良(660〜733)が筑前国司として在り、 旅人は相対し相和して筑紫歌壇を形成します。旅人作はすべて神亀元年以後。 短い長歌1首の外はすべて短歌約70首。長歌に代えて漢文の序と和歌とを組み合わす新風などの外、 漢詩漢文をゆたかに和化しなどもしました。
 いま、水沫(みなら)めく雪が細かく勢いづいて降るのでしょう。「ほどろ」は斑(はだら)に通い、 「ほどろほどろに」と同じ語を疊(かさ)ねるのは旅人好み、集中この一首のみ。 「小雨降りしき」(巻十一2456)は降りしきり、「降る雪は五百重(いほへ)降りしけ」(巻八1650) は降りつもれの意らしい。「京師」は漢語を映し、かつ「師」は和語の強めの助詞でもある。 「平」はもと平(なら)す、「城」はみやこの意。老貴族の思郷、雪降る遥かな思い、忘れえぬおもかげたち。 こぞの雪いまいずこ。「わが盛りまた変若(をち)めやもほとほとに寧楽の京師(みやこ)を見ずかなりなむ」(巻三331)、 若ざかりはもはや帰って来ない。平城、飛鳥、吉野 ……。
 天平2年末、 旅人は妻なき都に帰り、 翌年没します。

本田義憲先生監修

(奈良市に万葉歌碑を建てる会専門委員・奈良女子大学名誉教授)

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