高の原駅前広場万葉歌碑

春日(かすが)なる三笠(みかさ)の山に月も出でぬかも
佐紀(さき)山に開(さ)ける櫻(さくら)の花の見ゆべく

(万葉集巻十 1887 作者未詳)  
 

 天平貴族知識官人の宴の歌。 形は旋頭歌(せどうか)か (577・577)、 もと前句と後句と相對して謡いあった集団的な相聞(そうもん)の形ですが、 いま、 すでに盛(さか)りを過ぎたその古い形を新しい宮廷風(みやび)にあてました。 前句 「春日・三笠」、 後句 「佐紀山・開ける・櫻」 それぞれの韻の関係による統一と両句の対立と (九鬼周造)。 その韻に在る 「三笠の山」 は、 春日山の前の神奈備(かんなび)、 美しい御蓋(みかさ)山に峯つづきを代表させ、 「佐紀山」 は、 平城宮の北ないし北西、 佐紀沢 (巻四675)・佐紀野 (巻十1905) あたりからの低い野山の起き伏し。 「月も出でぬかも」 は、 「……してくれないか」 と今もいう咏嘆的な願望の形、 おそらくは、 宮苑 (松林苑など) で月の出を待つ、 後世のソメイヨシノではない山櫻の花の映(は)え艶(にお)うのを待つのでしょう。 情感ないし情緒は充みちませんが、 和歌史の上で月と花とをとりあわせた初期でありました。
  「春日なる三笠の山」 の円(まどか)にゆたかな月の出は、 また遊士(みやびを)のかわす玉杯に映(うつ)り (巻七1295)、 後に、 安部仲麿の唐での望郷と語りつたえる歌を 『古今集』 に載せ、 百人一首もえらび、 中世には神鹿のゆかしい春日曼荼羅図にも幽麗に画かれます。 「春日なる三笠の山に月は出でぬさける桜の色も見ゆらん」 (新千載集春上)、 これは、 古い旋頭歌の韻の作用に代えて、 短歌の形に調律しました。
 奈良時代もはやく王族の 「佐紀宮」 の宴では、 「秋さらば今も見る如(ごと)妻恋ひに鹿(か)鳴かむ山ぞ高野原の上」 (巻一84) と牡鹿鳴く秋をほめました。 佐紀の起き伏しは後の 「高野陵」 (孝謙・称徳、 高野天皇) をも含み、 万葉の 「高野原(たかのはら)」 は 「高の原」 ではありません。

本田義憲先生監修

(奈良市に万葉歌碑を建てる会専門委員・奈良女子大学名誉教授)

近鉄高の原駅前広場
 近鉄高の原駅下車すぐ(バスターミナル前)

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