がんこ一徹長屋万葉歌碑

相思(あひおも)はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後
(しりへ)に額(ぬか)つくが如
(万葉集巻四 608 笠女郎)
| 若き日の大伴家持をめぐる才媛のひとり、 万葉に全29首、 女歌では大伴坂上郎女につぎ、
すべて家持に贈った恋歌です。 いま、 「吾が形見(かたみ)見つつ偲(しの)はせあらたまの年の緒(を)長く吾れも思はむ」
(587)、 いつまでもとの純情に始まり、 隔てられることを知るにつれてさまざまに訴え怨む、
一連24首の中の一首、 私の思う様には思っていただけない満たされぬ此の恋は、
大寺 (興福・元興・大安・薬師寺) の餓鬼の像、 拝むわけもないあれに、 しかも後(うしろ)から額伏(ぬかふ)すのと同じこと、
何のしるしも応こたえもないことです。 ヌカツク 「如し」 とも訓(よ)みます。 所詮
「畏(かしこ)き人」 (600) への恋だったのか。 女官だったのでしょう、 宮中の陰陽寮の時守(ときもり)の亥(い)の刻(とき)
(夜10時頃) の鐘の音か、 「皆人(みなひと)を宿(ね)よとの鐘は打つなれど……」 (607)、
私は寝つけない、 とも嘆きました。 大胆に漢語 「餓鬼」 を技巧するなど、 才たけた、
しかし、 ふかぶかとした情の沈まない一連は、 彼女が家持の間近(まぢ)かからもとの
「故郷」 へ帰った2首 (609,610) で閉じます。 この2首を 「相別後更(さらに)来贈」
と書きとめた家持は、 のこるあはれに返歌しました。 「なかなかに黙(もだ)もあらましを何すとか相見(あひみ)そめけむ遂(と)げざらまくに」
(612)、 いっそ黙っておればよかったものを、 何をしようとしてか、 逢いそめたのか、
添い遂げるさだめでもなかったのに。 彼女の恋歌、 「陸奥(みちのく)の眞野(まの)の草(かや)原遠けども面影にして見ゆといふものを」 (巻三396)、 これは明治の訳詩集 『於母影(おもかげ)』 に鴎外が序歌とした慕情、 「水鳥の鴨の羽色(はいろ)の春山のおほつかなくも思ほゆるかも」 (巻八1451)、 これは平城のおぼろに青い悒春の情思。 |
本田義憲先生監修
(奈良市に万葉歌碑を建てる会専門委員・奈良女子大学名誉教授)
がんこ一徹長屋(2)
近鉄西ノ京駅下車西へ徒歩3分(門の外側)
揮毫者 奈良市在住 松 井 玲 月
これからの建立予定 |