佐保川堤万葉歌碑

ふりさけて三日月見れば一目見し人の眉(まよ)引(び)き
思ほゆるかも
(万葉集巻六 994 大伴家持 「初月歌」)
| 都の夕べ、 遙かに仰ぐ 「若月(みかづき)」、 ただ一目見た人の眉。 家持 (718?〜785)
数え16歳頃、 万葉最多470余首の中、 年代の知られる最初の作。 長官の父のもとに幼少時代を過ごした太宰府から帰って父亡きあと、
はや名門を負(お)っていました。 美しい叔母がそのめざめをみちびき、 この歌もそのもとに題詠的に作られたのか。
歌を通す感情教育。 叔母には一族の命運を託する思いもあったでしょう。 ベアトリーチェ特定というより、 女(をんな)ひと、 そのあえかな匂わしさへのあこがれ、 それは、 これから展(ひら)けて来る人生というものへの含羞のあこがれでもありました。 先人の歌の 「ふりさけ見れば」 類型を学びながら 「ふりさけて」 を独創し、 「眉引」 「思ほゆるかも」 を併(あわ)せもつ類型を包みながら超えて異国藝文の眉月をえらぶのは、 少年すでに内外の伝統と個人という問題を模索する位置に立ったのです。 そして、 こうして平城は、 一つの歌、 えらばれたことばに、 近代的覚官的のほのかな匂いを永遠の現在として得たものです。 年月流れて、 家持はこの叔母の娘、 眉のわたり匂う従妹と結ばれます。 しかし、 今この夕べ、 やがては叔母の手もとから古歌の数かずをも得て、 政争の間に、 歌というものの志の自覚から、 『万葉』 の編纂へ決定的な役割を果たすことになるとは思わなかったでしょう。 越中国守時代に33歳頃の家持が柳黛(りゅうたい)を手折って歌います。 「春の日に張(は)れる柳を取り持ちて見れば京(みやこ)の大路(おほち)し思ほゆ」 (巻十九 4142)。 「京の大路をゆきかふ美女の黛(まゆずみ)の匂ひを思(おも)ひ出(い)づるなり」、 これは 『万葉代匠記』 (契沖) の美しい注でした。 |
本田義憲先生監修
(奈良市に万葉歌碑を建てる会専門委員・奈良女子大学名誉教授)
佐保川堤(2)
JR・近鉄奈良駅→徒歩20分(下長慶橋から佐保川左岸を西へ5分)
これからの建立予定 |