あかい奈良
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  再録「室生寺」

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第5章 よみがえった室生寺五重塔


初めて取材に訪れたのは、五重の解体が始まったころだった。室生寺五重塔の記事がはたして自分に書けるのだろうかと不安を抱えた気持ちが、その穏和なまなざしに救われた思いがした人。それが松田敏行氏。以来、素人の愚かな質問にも丁寧に答えて頂いたおかげで、いつしかこの寺に来るのが楽しみになった。

  平成十年の九月、奈良県文化財保存事務所で四十五年間たずさわった文化財の保存修理の職務を退き、社寺の新築や修理を業務とする自営を営んでいた松田氏の目にも、台風七号に襲われた室生寺の報道は飛び込んできた。「ひどいことになっている」「しかし、じっくり見てみないと、よくわからないが…」そう思っていると、まもなく、県から修復の依頼が届く。


  被害から二十日あまりたったころ、松田氏は室生に出向き、被害の様子を実際に見る。そして、思った。
「やれやれ、これはそんなにひどいことはない。なんとかなるかもしれないぞ」

  日本中が悲嘆にくれている中にあって、ここに一人、明るい見通しをもった熟練の技術者がいたのだ。なぜ、松田氏はそう思ったのか。

  「たしかに、屋根の部分は大きく損なわれていました。しかし、よく見ると、初重から五重にいたるまで、軸部がまったく痛んでいなかったのです。もし、構造的に奥の部分にまで被害が達していたなら、約六千三百にもおよぶ部材を全面的に解体修理しなければならなかった。修復の難しさも、かかる費用も、まったくことなっていたでしょう」


  こうして、「被害を免れた部分はできるだけそのままで」という、今回の修復設計方針が生まれていった。

  平成十一年一月の工事着手から一年九カ月。塔はよみがえった。新たな塗りが施されて立つ塔を見る松田氏の目には、いつものように穏和な中に、深い思いと、現場と別れる時が近づく寂しさが含まれている気がした。

塔の芯柱は、塔が揺さぶられても動かないのはなぜなんですか」「ジャッキアップというのは、塔を丸太で串刺しにして、ジャッキで持ち上げるということなのですか」目を丸くしながら松田氏にこんな質問をしている時、そのとなりでほほえみながら図を書いていっしょに説明してくださったのは、株式会社滝川寺社建築の堀内啓男氏だった。木工事の全般を監督する技術者であり、松田氏同様、奈良県文化財保存事務所OBでもある。松田氏とは気心の知れた間柄と見受けた。

  再び、出会った堀内氏にも、ようやく工事を終えた安堵感がうかがえた。


「素屋根がはずれる瞬間は、子供が生まれる時のようにどきどきします。たぶんこうなるはずだとは思っていてもね」

「いちばん大変だったのは足場を運ぶ作業。二月、雪の降る中を一千五百本もの丸太を運ぶ若い職人たちは、ふらふらしながら頑張りました。彼らはこの工事の間に、ひとまわり逞しくなったように見えましたね。百八十段ある石段の部分はウインチが使えましたが、室生寺の立地条件から、ほとんどの場所は肩にかついで、人が運ぶのです。ジャッキアップする丸太は長さが八メートルもあって、六人がかりで担いだのですよ」
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・再録「室生寺」  

  1. 解体と調査  
  2. 檜皮葺きの屋根  
  3. 組み立て  
  4. 古のあかい色  
  5. よみがえった室生寺五重塔

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  山中にある室生寺は、重機などの近代的な手段を拒む。それだけに、資材の搬入には、ひときわ人の手による苦労がかかっていた。昔ながらの丸太を組み上げた素屋根の、足場の一本一本から、それは始まっていたことをあらためて思う。かかわった人たちにとって、その厳しさも今後少しずつ、なつかしさに変わっていくのだろう。

「まさにパニックでした」と、塔が半壊した当時のことを語る、室生寺執事の松平雅之氏は、その日から始まった目まぐるしく、重圧がのしかかった日々に思いを寄よせる。しかし、
  「村の人々は、塔が壊れたその日から、参道に倒れこんだ木をかたづけ、道をあけてくれました。全国から、寄付をお寄せ頂きました。工事は、大きな支障なく、予定より早いペースで順調に進みました。不思議なくらいです。わたくしには、半壊したのがこの寺の中でほかならぬ国宝五重塔だったからではないかと思えるのです」


「西洋の石の文化は遺産だけが残っていますが、日本の木の文化は今に続いています。その意味するところを、わたしたちは大切にしなければなりません」

  塔は痛手をうけたが、それによって、それぞれの人々の心に、何がしかの気づきが生まれたのだと思う。そして、塔はまた、外見だけでない新しい魅力が増していくのだろう。






最後に・・・お話を伺うことで、あるいは、ただ黙って見せていただくことで、感動や驚きを与えてくださった関係者の皆様のおかげで、かろうじて担当を務めることができました。ありがとうございました。