あかい奈良
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  再録「室生寺」

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第4章 古のあかい色

 近鉄八木駅から東へ向かうと、すぐに低い山が窓の左右から目に飛び込んでくる。やがて線路は谷間に入り、窓は初夏の緑のトンネルに包まれる。時々、視界が開けるときには、眼下の谷間に家並みがあり、電車が山腹にそって走っているのがわかる。

  山間をぬうようにゆっくり走る各駅停車の電車にゆられているうちに、室生口大野の小さな駅にたどりつくのだ。そこにはすでにバスがいて、ほとんど待たずに室生寺まで運んでくれる。奈良市内から一時間半もあれば、着く。便利だ。しかし、室生という言葉には、どこかしら果てしなく遠い場所という響きがあるような気がする。まして、交通手段のなかった時代に、ここまで訪れる人にとって、この寺に参るには、どんなにか遠く、険しい旅を強いられたことだろう。女人高野、室生寺。女たちは、つらい旅をのりこえてまで、なぜこの寺を目指したのだろうか。身近な人にたずねてみた。

「そりゃあ、遠くてしんどいほど、ありがたいということじゃないかい」

  なるほど、「こんなにつらい思いをしてまでお参りするのですから、どうか私の願いを受け入れてください」という気持ちだったのだろうか。とすれば、この遠い聖地を目指さずにはいられない、悩みを抱えた人たちを迎え入れてきた寺だから、今も訪れる人に癒しのようなものを感じさせるのかもしれない。
一昨年の秋、台風七号によってくずれた国宝、室生寺五重塔の無惨な姿の写真が、今も寺内に掲示されている。解体と調査に始まる災害復旧工事のようすを追ってみようと、昨年の秋号から連載を始め、季節が変わるごとに訪れてきた。その工事が完成に近づくにつれ、取材も終わりを迎えようとしている。やはり、感じるものがあり、快晴の日ざしに輝く森を見ても、いつもより澄んでいる川を見ても、いっそう美しく感じられた。シャクナゲは今まさに満開だった。

観光シーズンを迎え、修学旅行生たちや、うきうきしたご婦人がたのグループなどで、寺の周辺がざわめく中、自分がやや浮いているように思った。

観光客をがっかりさせてきた塔を覆う素屋根は、六月の修理現場見学会が終わると、取りはずされることになっている。残るは付帯工事ということになる。見学会は、希望者を募って行われるもので、素屋根にのぼり、手の届く位置から塔を見学できる貴重な機会とあって、全国から応募があるそうだ。

  木工事を終えた白木の、潔い色彩がまだまぶたに残っていたのだが、今回はすっかり印象が変わっている。昨年末から、五月にかけて、塗りがほどこされてきたからだ。

  奈良県文化財保存事務所、室生寺出張所で、工事の指揮をとる松田敏行氏によれば、復旧前までの塗りは、明治のものだという。大正や昭和でも、修理は行われてきたが、塗りは明治のころのままだった。それが今回、全面的に新しく塗り直されたのだ。


  文化財が修復されたり、復元されてみると、その鮮やかな朱色にとまどうことがある。私たちは知らず知らずのうちに、古色蒼然とした姿をこそ、歴史を感じさせるものと考えているのかもしれない。しかし、創建当時を想像させてくれる色彩にふれて、古の人たちが塔に感じたものをなぞってみる機会があってもいい。五重塔の朱はどのように仕上がっているのか。興味を抱きながら、素屋根の中に、一歩踏み込む。

  そこには、意外な色があった。しっくい塗りを残すのみとなった壁を背景に、白木の肌を見せていた肘木や垂木は、想像していたのよりも、はるかにシックなあかい色に変わっていた。朱塗りといえば、薬師寺や朱雀門の華やかなオレンジがかった色になじんでいるためか、「こんな朱もあったのだ」と思う。業者から提示された八種類のサンプルのうち、選ばれた五重塔のあか。素屋根がはずれてみなければ、確かにはわからないが、かすかに青みを含む、グレイッシュな落ち着きのある色だ。日本一可憐で、小柄な塔に、なんともふさわしく思われた。葺き終わった檜皮の平葺きの屋根が、幾何学的に美しい。その屋根にのっかり、木口に刷毛で黄色い色を塗りつけている若者に会った。

  彼が塗っているのは「黄土」という色。「丹色」とも「朱色」とも呼ばれている肘木や垂木、柱などのあかい色は、ここでは、「朱土」と「弁柄」という色材が使われている。朱土は高価で、すべて朱土を用いるのは、春日大社本殿など、ごく限られたところだという。多くは、弁柄や丹土で、土を焼成し、酸化させることによってあかい色を出したものだ。また、白い部分は胡粉といい、貝殻を砕いてできた色材だ。色材は粉状のもので、これを柿渋や膠と混ぜて使う。今回は膠が使われている。いわゆるペンキと違うのは、古くなっても、色あせても、趣きに変わっていくところ。ぼろりと欠片がむけ落ちたりはしない。それが伝統的な色材のすばらしさだ。
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・再録「室生寺」  

  1. 解体と調査  
  2. 檜皮葺きの屋根  
  3. 組み立て  
  4. 古のあかい色  
  5. よみがえった室生寺五重塔

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塗りのプロセスについて聞いてみる。「最初はかきおとし。へらで、古い塗料を落とします。木に刺さったり、木がささくれたりしないように気をつけて。この現場は特に気をつけないと」「それから、水ぶきですね。実際にはお湯ですけど。それで残った膠をふき取るんです」

  そして、一年で一番寒い時期にさしかかると、次の下塗りが始まるまで、作業はしばらく中断する。色材と混ぜる膠が、寒い時期には固まってしまうからだ。気温十六度を下回ると、作業の能率に影響がでるという。下塗りが始まったのは四月のことだ。

「下塗りは、どうさという、膠と水とみょうばんをまぜたものを2回塗ります。『吸い込み』といって、木が塗料を吸い込むのを防ぐためです」
「次は、中塗り」ここから色彩がほどこされる。一度塗ってから、もう一度仕上げ塗りをする。
  彼が木口に黄土を仕上げ塗りしている今は、この工程が最後に近いことを物語っている。「あと二日ほどでできると思います」

  今回塗りを請け負っているのは斎藤漆工芸という千葉県の業者だ。昨年暮れから、三〜四名の作業員がやってきて、この工程が始まった。彼も関東から長い出張に来ている。年中、どこかへ出張して伝統的建造物の塗りにあたるのだ。


「この仕事には、興味があったのですか?」
  仕事中の手を止めてはならないと思いつつ、話しかけてしまう。
「高校生のころのことですけど、ひとつ年上の先輩がこの会社にいて、現場を見せてもらったことがあって、楽しそうな仕事だなあと思ったんですね。前から大工のような仕事には興味がありましたし」
  楽しいばかりではあるまい。


「でも、できあがってくると、だんだんうれしくなってくるんです。この現場も、もうかなり『やったな〜』という気持ちが高まってきてますね。また見に来ようと思っています」というのは、素屋根をはずした姿を見る前に、彼の仕事は終わるからだ。「いずれまた、仕事で奈良に来ることがあると思うんですよ。そういう時に、ここまで来て、見ればいいから」

  国宝にかかわったということが、きっと若い彼の喜びや、ひとつの誇りとなることだろう。
  復旧工事完成のお祝いムードが過ぎ、静かになった塔を見上げる若者の姿が目に浮かんだ。


第一回の取材の時、屋根のあっけないほどの小ささと、足下のたわみに気持ちを揺さぶられた五重にのぼってみると、真新しい相輪がそびえ立っていた。何もかもが、出来上がりつつあった。

変わらないものを見るとき、なぜか人の心は安らぎを覚える。ずっとずっと昔からあり、そして今もあるもの。できることなら、これからも変わらずに、いつまでもそこにあってほしいと願うもの。室生寺五重塔も、人々にとってそういうものだっただろう。それが台風に打ちのめされ、多くの人が大きな喪失感の中に沈んだ。大切に守られ、受け継がれてきたものだから、よもや壊れるはずがないと、考えてみれば根拠もなく思っていたところがあったのかもしれない。それが、あらがい難い力によって、容赦なく打ち砕かれた。同じことが、時に人の人生にも訪れる。しかし、この世に変わらないものなどあるだろうか。ひそやかに 今、素屋根を脱ぎさる時を待つ室生寺五重塔は、古の姿を、新旧の素材で象り、多くの人の思いと努力によってよみがえりつつある。

すべては変化し、再生している。

この連載を終えた後も、何かを失ったと感じる時や、どこか遠くへ行きたくなった時などは、傷つき、立ち直った、この可憐な塔に励まされてみたいと思った。


第5章に続く