記紀の迷い道1-5

記紀の迷い道1-5 page 4/20

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阿弥陀如来像此瀬町太安萬侶の墓10光仁天皇陵9北浦定政顕彰墓水間?田原の春が100%楽しめる、3時間と15分のルート?奈良市街GOAL13春日宮天皇陵80START矢田原口バス停186矢田原町1登山口福住▼あじさい園12天理市国....

阿弥陀如来像此瀬町太安萬侶の墓10光仁天皇陵9北浦定政顕彰墓水間?田原の春が100%楽しめる、3時間と15分のルート?奈良市街GOAL13春日宮天皇陵80START矢田原口バス停186矢田原町1登山口福住▼あじさい園12天理市国見山2和田町稗田阿礼の墓11(推定)47十輪寺文横田町8信号のある十字路〒茗荷町地蔵石仏7きりつけ阿弥陀磨崖仏奈良市ルート登山道1ポイント古代の墓長谷町長谷町集落6三角点標識3塔の森「塔の森・日吉神社・国見山」4 5日吉神社STARTGOAL矢田原口バス停徒歩10分1登山口(550m)徒歩30分(登山)2国見山(680m)徒歩15分3三角点(666.4m)徒歩5分4塔の森徒歩20分5標識「塔の森・日吉神社・国見山」徒歩5分6長谷町集落徒歩15分7きりつけ阿弥陀磨崖仏徒歩15分8信号のある十字路徒歩20分9光仁天皇陵徒歩15分10太安萬侶の墓徒歩10分11稗田阿礼の墓(推定)徒歩20分12あじさい園徒歩15分13春日宮天皇陵売太神社春日造りの多神社本殿■語り部、稗田阿礼のゆかりの地あめのいわと稗田阿礼については不明な部分が多く、出自は天岩戸の前で神あめのうずめのみことさるめのきみ楽を踊ってみせた天宇受売命の子孫、猿女君の族とされる。猿女氏は代々女官を出す氏族だったため、阿礼を女性とみる説もあるが、『古事記』序文には舎人とあるため、男性説も根強い。生没年、墓とも不詳である。めた稗田阿礼を主神として祀るのが、大和郡山市稗田町にある売太神社だ。この地は猿女君一族の居住地とされ、祖神を祀る猿女田神社が、女田(売田、売太)神社と略してよばれるようになったらしい。現在、毎年8月16日に阿礼祭が行われ、「稗田の舞」「阿礼さま音頭」などが奉納される。周辺は、典型的な環濠集落となっている。■太安萬侶を輩出した多氏の本拠地おおのおみほむじ太(多)安萬侶の父は、壬申の乱で功績のあった多臣品治である。おお古代の名門豪族、多氏の根拠地は、現・田原本町多の、飛鳥川のほとりにある多神社周辺とされる。多神社は古くから記録に登場し、広い敷地をもち、ずばぬけた経済力を誇っていた。四方に鳥居があったとされ、東の鳥居の中にすっぽりと三輪山がおさまることから、大神神社との関係も蜜なものがあったと推測される。『古事記』の編纂者として功なり名をとげた安萬侶は多氏の氏長となったが、官人として官の定める田原の地に埋葬された。39取材・文/嶋岡尚子編集・撮影/沢井啓祐協力/寺崎保広(奈良大学文学部史学科教授)岡井稲郎(田原地区自治連合会長)中尾義永(田原地区町づくり協議会世話役)鹿谷勲(奈良県立民俗博物館学芸課長)