記紀の迷い道1-5

記紀の迷い道1-5 page 19/20

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34御所市にある全国賀茂社の元宮である高鴨神社が上鴨さん、鴨都波神社が下鴨さん、そして御歳神社が中鴨さんと呼ばれることからもわかるように、この神社のお祀りをしていたのは鴨一族とされる。鴨族は、奈良の西南....

34御所市にある全国賀茂社の元宮である高鴨神社が上鴨さん、鴨都波神社が下鴨さん、そして御歳神社が中鴨さんと呼ばれることからもわかるように、この神社のお祀りをしていたのは鴨一族とされる。鴨族は、奈良の西南部を勢力範囲として四世紀末?五世紀にかけて栄えた古代豪族、葛城氏の先祖とされ、もとはといえば大陸や南方からやってきて、農耕の神を奉じていたという。そういえば、昨年十一月、御歳神社からも程近い、御所の中西遺跡で、約二万平方メートルと国内最大規模の弥生時代前期の水田跡が確認された。自然地形にあわせて大規模な整備された水田をつくっていたことから、強力なリーダーがいたことが想定されている。金剛・葛城山系の麓にあたるこの周辺は、古来から人々が定着しはじめていた地域であることは確実だ。かつては崇敬を集めた御歳神社であったが、いつしか宮司不在の時代が続き、その存在は忘れられていった。神社も荒れた状態であった。が、ここにきて、葛木御歳神社は蘇りつつあるのだ。東うの川かわ優子宮司のもとで、すでに二月の祈年祭と湯立て神事、五月の御田祭りなどが復興された。復興事業は宮司ひとりの熱意や氏子の方々の協力だけではできなかったはずで、崇敬会やご神体山整備の団体を創設するなど、いろいろな方面からの支援がクロスしてなったのだと思われる。無理のない範囲で、しかし確実に神社再興が進んでいる。野神さんのこと農耕の神さんといえば、奈良盆地に多いのが、野神さんだ。野神さんは、オオトシノカミやミトシノカミのような、神さまの番付に位置づけられる大きな神さまではない。もっと私たちの生活に近いところをうろうろされている、小さな、だけど怖い神さまだ。集落のはずれにある田のあぜ道、道端にある古木やちょっとこんもりした塚などに小さな祠が祀ってあれば、野神さんだと思ってまちがいない。盆地部では、五月五日あるいは六月のはじめ頃、これから農作業が始まろうかという時期に、野神さんにお供えをする行事が今も残っている。盆地の北部では、農具の模型や牛や馬の絵を描いた絵馬を奉納し、盆地の南部では、子「御年神」は「御歳神」と表記されることもあるが、「年」は稲の実りを意味することから、「御年神」とした。神名の表記は、『新編日本古典文学全集1古事記』(小学館、二〇〇九年)による。伊耶那岐神建速須佐之男命神活須毘神大国御魂神韓神曾富理神白日神聖神大香山戸臣神大土神(土の母神)庭高津日神(庭を照らす日の神)羽山戸神(山麓の土地神)久久紀若室葛根神(新嘗祭の新室神)久久年神(稲の茎の神)秋毘売神(秋の収穫の神)夏高津日神(夏の太陽の神)弥豆麻岐神(灌漑の神)妹若沙那売神(田植えをする女神)若年神若山咋神(若い山の境界神)香山戸臣神(微光を発する山の神)波比岐神(土地の境界神)阿須波神(土地の基礎神)庭津日神(庭を照らす日の神)大山咋神(山の神)奥津比売命(かまどの神)奥津日子神(かまどの神)御年神八島士奴美神大年神宇迦之御魂神布波能母遅久奴須奴神深淵之水夜礼花神淤美豆奴神天之冬衣神大国主神淤迦美神布怒豆怒神大山津見神伊耶那美神櫛名田比売神大市比売多紀理毘売命市寸島比売命多岐都比売命伊怒比売香用比売天知迦流美豆比売大気都比売神木花知流比売日河比売天之都度閉知泥神布帝耳神刺国大神刺国若比売須勢理毘売命宗像三神誓約禊(稲の実りの神)(稲の神)(若い稲の神)苗代の五穀豊穣