記紀の迷い道1-5

記紀の迷い道1-5 page 1/20

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36記紀編纂作業は天武天皇の時代に始まった六七三年、壬申の乱※に勝利した大おお海あま人の皇み子こは、都を近江から飛あすか鳥浄きよ御み原はらの宮みやに遷し、ここに天武朝が始まった。天武天皇は、皇子らを重用....

36記紀編纂作業は天武天皇の時代に始まった六七三年、壬申の乱※に勝利した大おお海あま人の皇み子こは、都を近江から飛あすか鳥浄きよ御み原はらの宮みやに遷し、ここに天武朝が始まった。天武天皇は、皇子らを重用して親政を行い、豪族たちを役人に採用し、家柄と個人の能力によって昇進させる規定を法令化した。天皇を頂点とした中央集権化を律令制のもとに進めようとしたのだ。律令の編纂は天武天皇の治世下には完成しなかったが、その志は次の持統天皇に引き継がれ、「浄御原令」に結実。法治国家としての第一歩を踏み出すことになる。法の整備と同時に進められたのが、歴史書の編纂である。当時、各氏族がもっていた系譜や伝承には諸説生じ、虚偽が加えられたものもあり、どれを正とするのか混乱が生じていた。天武天皇はこれを嘆き、真実を定めて後世に伝えようと考えた。そこで六八一年に、皇子や豪族の中からふさわしい人選をして、諸説を検討して史実を確定する作業に乗り出した。この作業とつな国の誕生の物語と王家の系譜を記した『古事記』『日本書紀』は、奈良時代に、おのおの時の天皇に献上され、二〇一二年および二〇二〇年に、それぞれ成立一三〇〇年を迎える。奈良は記紀編纂が行われた場であり、今なお、地名や自然、人の語り伝えに、古代の残映を色濃くとどめる。今回からシリーズで、記紀を案内役として、神話や伝承の舞台となった地を訪ねる。『古事記』の立役者稗田阿礼と太安萬侶の永眠の地に迫る雪におおわれた太安萬侶墓奈良市此瀬町の通称トンボ山の南斜面中腹、二本の木にはさまれた間にある『古事記』の立役者『古事記』の立役者